アジアンどっとコム・タイ_バンコク

タイ族が歴史に登場するのは12世紀に入ってからになります。その地域は中国の華南に位置し、現在のタイの領域は当時、クメール王国(現カンボジア)が支配していました。その後、タイ民族は東南アジアに広がると共にクメール王国を浸食する形で1350年にシャムを建国し、ほぼ現在のタイの領土を獲得します。しかし、当時の東南アジアには国境という概念は薄く、現在の国境線が引かれたのは、1511年にポルトガルがマレーシアにあったマラッカ王国を征服して以降、東南アジアに進出したヨーロッパ諸国の勢力によるものです。例えば現在のラオスはタイ族の国家であるとも南詔国(ナンチャオ王国)の末裔であるとも言われていますが、シャムとの国境線が明確に引かれるのは1893年ラオスがフランス領となってからです。同様に北方のビルマ(現ミャンマー)との国境の争いは近代まで熾烈さを極め、シャム王都(現アユタヤ)はビルマの軍に1564年、1569年、1767年に占領されています。1782年になって初代王ラーマ1世が都をバンコクに移しますが1885年にビルマがイギリスに占領されることで現在の国境線が確定しています。その後、1936年に当時の首相が国名をシャムからタイに変更しますが、タイ国王は現在のラーマ9世へと引き継がれています。しかし、このタイという名称もさほど明確な根拠に由来するものではないようです。
タイは階級社会であると良く言われているが、私たちがタイでそれを実感する機会はまずありません。タイには国王がいて当然その親族には階級が与えられているのですが、これは日本の天皇家の序列と変わりません。またタイにはアメリカの占領下の日本で1947年に刑法から削除された不敬罪が今でも存在していて、実際にタイ王室歌が流れたときに起立しなかったタイの大学生が禁固刑を受けたこともあります。しかし、私たちが一般にタイを階級社会と名指しするのはこうした事案ではなく、例えば軍人や警察官が退役しても終生その階級を名前につけるといったタイの慣習によるものです。また、この他には貧富の大きな格差が生涯縮まらない社会を指して呼んでいるようですが、この場合には、格差社会もしくは階層社会と呼ぶべきでしょう。学歴に関して、高卒だと初任給が5,000バーツ(15,000円)、大学卒で12,000バーツ(36,000円)、修士だと25,000バーツ(75,000円)と明確に格差が生じます。問題は大卒だと勤続数年で月収が数倍になるのに対して、高卒者の月収はほとんど変わらないことです。こうした背景で近年はタイの大学進学率が35%を超えたというデータもあるようです。その一方で従来の富裕層は日本を含めた欧米の大学へ留学しています。こうした留学した者たちが社会の上層部を占めますから今のタイは実力社会であると言う日本人もいますが、タイのタクシン首相の汚職は縁故関係者を中心に行われていましたから、やはり、あらゆる場面で縁故がものを言うアジアの一般的な社会だと考える方が妥当でしょう。そうした中でマスターカード・インターナショナルが「女性の社会進出度調査」を行い、タイはアジア地域においてオーストラリアに次いで二位となっていて、男女間の社会的な差別はほとんど認められない社会です。ちなみに日本はインド、韓国に次いでワースト3に入っています。
意外と知られておりませんが、第二次世界大戦に於いてタイ王国は日本と共に枢軸国に加盟しています。他のASEAN各国もこの大戦に於いて一時的ではあってもヨーロッパの植民地支配から脱しますが、日本の支配は衆知のように劣悪でその犠牲者も多数に上るため、未だに当時の日本軍の支配に対して恨みを抱いている国が多いのが実情です。それはともかくタイ王国は唯一アジアで自らが日本と協力関係を構築できた独立国家であり、同時に戦後は巧みな外交により敗戦国の扱いを免れた国でもあります。大日本帝国が満州国を建国した際にこれを真っ先に承認したのもタイ王国でした。余談ですが、タイの大学生と第二次世界大戦のことを話す機会があったのですが、その戦争そのものを知らない学生がおりました。タイ国内で激しい戦闘は無かったために重要ではないのかも知れません。現在でも日本の東南アジアへの投資はタイを中心に行われています。
日本の紀元はキリストの生誕の年ですが、タイはブッダ(釈尊)の入滅した一年後のBC543年を紀元としています。つまり、現在の年号は2009+543で2552年になります。このような年号はカンボジアとラオスにおいても共通しています。セブンイレブンなどで買った食品の賞味期限にもこの数字が使われているので初めのうちは面喰らいます。また、ミャンマーではブッダ(釈尊)の入滅した年のBC544年を紀元とするのでタイとは一年のズレがあります。このような国々は上座部仏教圏と呼ばれ、日本をはじめとした東アジアの仏教とは区別されています。一般に原始仏教の戒律を直接伝えているものが上座部仏教で、これに対して釈尊の没後に時代や伝わる地域性によって戒律を緩やかに変化させたものを大乗仏教としているようです。大きな違いは上座部仏教に於いて僧侶は一般の大衆と厳しく区別されているのに対して、大乗仏教の中では僧侶のみならず私たち大衆でさえもが成仏できる対象としていることです。また、一般的に仏教の世界では僧侶の結婚そのものが有り得ないのですが、日本のように僧侶の結婚はおろか、我々と同様にお酒も飲んでも構わないとした戒律は大乗仏教界の中ですら逸脱しています。しかし、日常生活において日本とタイの仏教の違いはほどんど気にならないでしょう。タイでは外国法人の企業であってもその敷地内にヒンドゥー教の神様を祭っていて、この感覚は日本の会社が社長室などに神棚を飾っている感覚と同じです。つまりタイ社会全般には八百万の神がいて、人々はその時々の都合でご利益を願っています。深夜のバンコクの繁華街の路上で若い女性が様々な占い師に自分の明日を問い質している光景を見ると日本と変わらないと誰もが思うでしょう。敢えて私たちが注意しなければならないのは、タイの僧侶は私たちの俗世間とは明確な一線を画しますので、あなたにそうした宗教心がないのであればうかつに近づかない方が無難でしょう。
日本の私たちには全く身近に触れる事のないタイ文字ですが、クメール文字に影響を受けて13世紀以降に作られた比較的新しい文字です。そもそもタイ語にしてもインドの影響を強く受けていてサンスクリット語とパーリ語など6割以上を外来語で占められています。しかしそんな言語であっても現在のタイ国内の識字率は高い教育環境の中で95%を超え、タイ社会の中にあってタイ文字の学習は私たちにとっても避けては通れない関門となっているようです。コンピューター上のタイ語の読み書きに関しては、ウィンドウズ、マックともOSレベルでサポートされていますので不自由はありませんが、最近、格段に向上している自動翻訳技術に関して、タイ語はまだ普及するに至っておりません。技術的にはタイ語が一つの文字の上下に子音を重ねますのでそれをどのように認識し変換するかがネックとなっているようです。具体的にタイ語を読めなくて困ったという経験もありませんが、当然タイの人はメールでもタイ文字を使いますのでもし読めるなら滞在中に重宝するでしょう。文字そのものはアルファベット同様の表音文字ですが、中国語同様の声調があります。
2007年に在タイ邦人は4万人を超え、その一方で日本人のタイ入国者は年間100万人を超えています。つまり常時タイには7万から10万人の日本人がいることになります。1,300社もの日本企業がタイに進出するとともに最近ではタイの大学へ留学する日本の若者もいます。このような状況で主にウェブ上で様々なタイ社会への評価が飛び交っており、多くの誤解も生じています。この様な状況になると私以上にタイ社会について詳しい方々が多くいらっしゃいますので、取りあえず私は日本のウェブ上でブログなどを拾い読みした中からその感想を以下に述べます。
日本の社会を知らずにいきなりタイの大学に進学しタイの階層社会に馴染んだ日本人が「タイの水商売で働く女性たちは生まれながらの娼婦で、日本人にとって結婚を考える相手に値しない」と発言した場合ですが、これに対して多くの日本人はその社会の実態に関わらず徹底した平等を信じる傾向が強い訳です。例えば女性が水商売で働くためには美しくなければ成り立ちません。性格はともかくそこには当然厳しい競争があり、お金だけでそうした女性と結婚できると考えるのはあまりに短絡的だと考えるでしょう。つまりこの前提に差別があるのです。これに連動した形でこうした若者が「日本の中高年の男性とつき合うタイの若い女性はお金が目的である」と断言した場合、折角円満に暮らしているこうした夫婦がわざわざこうした偏見に満ちている日本で暮らしたいとは思いません。日本の国際結婚に関して統計などを見ると男性が女性の4倍となるのですが、女性は相手国の国籍を取得することが多いのでこうした数字に表れません。しかし例え日本の女性であっても海外の男性に対して資産や社会的地位を求める傾向はありますから、これをアジアの女性に限定するのはフェアではありません。私たちはこうした偏見を自らが改めない限り、アジアの人々と共生することなど不可能です。
また、多くの日本の若者はタイの女性に大変モテます。いくつかその要素を取り上げるなら、日本の青年は色白で女性に対して従順、もしくはウブでカワイイといったことなどで、バンコクの女子高生や大学には日本のジャニーズのファンクラブまである有様です。タイの社会では女性は男性と同等に扱われていますから、例え女性であってもそうした日本の若者にアプローチします。その結果、二人の間に子供が出来るのですが、こうした若いタイの女性に日本の青年の精神的なサポートはおろか、日本の母親のような面倒見の良さなど期待すること自体無茶なので、仮にその二人が結婚した後に破綻した際、社会の中で男性と同等に扱われているタイの女性の自尊心は別れた男性に子供の養育費を請求できるといった国際的に認められている行為でさえ我慢ができません。そのまま子供はタイの女性に引き取られることになり、問題が表面化することもありませんが、今、タイの社会でこうした日本人の子供たちが増えています。仮にこういう事態をその男性が都合が良いなどと考えるようなら、真っ先に金銭で損得勘定をしているのは日本人の方だと言うことです。

最近、日本で「引きこもり」の若者がタイへ移動するという現象が伝えられています。これを「外こもり」と呼んでいますが、これと日本人の自殺率とを関連づけて、日本人は性格が暗く、タイ人は明るいからだと考えるのも表面的過ぎます。日本社会で引きこもる原因は様々でしょうが、そうした若者がタイで暮らせるのは日本で煩わしく感じられる世間の目から逃れられるからです。日本人はそれほどに常に他人に注意を払っていますし、「以心伝心」という言葉も常に私たちが相手の顔色を見ていることを表しています。それを煩わしいと感じるのは仕方のないことですが、日本人の性格が暗いというのは飛躍しています。また、タイ人の性格が明るく見えるのは日本人と比べ刹那的で快楽主義的な傾向があることを指していると思いますが、そういった傾向が強い程、彼らの心の闇もまた深いと言う一面を持っています。バンコクの若者たちを注意深く観察していれば彼らに蔓延している現代人特有の様々な精神的な闇を見て取れますし、一方、地方へ行けばその性格も随分素朴になりますが、彼らを義理とか人情といった日本的な文脈で捉えると誤解を招きます。日本社会の「ブリッコ」といった女性らしさの演出はタイ社会の中でも見られますので表面的なことを論じてみても意味がありません。

では私自身はタイの人々をどのように捉えているかと言う話ですが、実は細かく考えたことはありません。どちらかと言えば、短気なのかなと思ったことが何度かありました。タイ人と感情的にもつれた場合、話し合いによる解決は難しく、女性であっても男性並みの決断力と行動力がありますから、一度関係がこじれてしまうと日本人以上になかなか厄介です。そして実際に一般的なタイ社会の中で離婚率は高い印象があります。また、「タイは階級社会なのであるから大学出の身元のきちんとした人と付き合おう」などと言った意見などもネット上に見受けましたが、確かに彼らは英語が話せますから私たちにとっても大変有り難い存在ですが、日本人がタイの上流社会を経験することに意味があるのかは疑問です。例えば、先の英語が流暢に話せるとか、外国人が出入りするディスコで一緒に遊ぶとかが一般的な日本人にとって大切ですか。むしろ、そうした社会の中であらゆる人々と何の分け隔てなく付き合えることが日本人の醍醐味です。もちろん、こうしたことは各人がそれぞれの性格を反映している訳ですから、私がどうあるべきなどと言うつもりもありません。
その他にはタイ人はタイの社会の中で世間体を大変に気にしている一方で、私たちのような外国人が彼らをどのように見ているかといったことにはほとんど無頓着なので、私にとっても大変に気が楽です。もっとも、私はタイ人に対してほとんど気を使わないために、よく当のタイ人にも怒られます。恐らくこれが私のタイの上流社会に関心がない原因の一つです。日本人はよく相手の一挙手一投足に注意を払うといったことをしますが、そういったことはタイ人も疲れるでしょうし、私も気が進みません。繰り返しますがタイ人はその社会の中で同じタイ人の目を私たち以上に気にしています。しかし、私とタイ人の関係はお互いに見ているものが微妙にすれ違っているためにお互いに気にならない存在だと言えるでしょう。
アジアを巡るようになれば、タイのバンコクへ来るたびにほっとするでしょう。そんな感覚を持つ旅行者は決して少なくはありません。近い将来、日本人自らが国際化の必要性を自覚した時点で、私たちはこのタイから多くのことを学べます。今日でも旅行者たちは、シンガポールでもなくマレーシアでもなく、このタイで次の旅行を準備するのです。

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