アジアンどっとコム・マニラ・スコッター

マニラの事務所を紹介いたします。2DKの間取りで、月2700ペソ(5400円)でした。もちろん、現在のところすべて個人の出費です。主に捜してくれたのは、いつも私がマニラでの送り迎えをお願いしているFXタクシーのジミーと、その彼と同居しておりジミーとは親戚にあたる現在求職中のライアンです。私の希望は2500ペソくらいと言っていたので値段は問題ありません。間取りも以下に書きましたが、住み心地は床がセメントであることもあり日本の家屋より優れていて事務所として申し分ありません。ただ、やはりスコッターは政府が認めていない訳ですから電話線を引くことができません。(2,3年前までは出来たそうです。)しかし、フィリピンでも今やワイヤレス通信が主流となっていますのでさほど重要ではないと考えました。この詳細は後に述べます。
一般にここの住民は買物に行く時はトライク(サイドカー付きバイク)を使いますが、荷物が多くなると私が同乗者に気が引けますので自転車を買いました。ご存知の方は気づかれたでしょうが、明らかにこの値段はボラレています。面倒でしたのでスコッターの近所で買いました。恐らく日本の駅等の放置自転車の類いです。私がいない間はこの自転車をライアン親子に使ってもらおうと思ったのですが、この手のスタイルはどうやらフィリピンでは大変にダサイようです。絶対に乗ろうとしませんでした。

右が風呂場となります。日本の方には恐らく「有り得ない」類いでしょう。便座は個人で購入するのが一般的なようです。ここ以外にも何軒かを見て回りましたが、どこにも便器の座る部分がありませんでした。また中には家賃が2,500ペソでもシャワーが付いている物件もありました。身体を洗い、バケツの水で石けんを流すだけのことです。基本的に気温が20度を下らないのでこれでも十分なのですが、12月は少し冷たく感じることもあります。トイレは手動式の水洗です。バケツの柄杓で2・3回便器に水を注ぐと全てが流れるようになっています。仮にフィリピンのホテルに泊まっても一般にはバスタブなどはないことの方が多いでしょう。

断水は一度もなかったのですが、正直その水質は気になっていました。料理は全て水道水を使っていましたが、取り敢えず大丈夫でした(勿論、直接は飲めません)。見た目では大変、透明でアジアの中でもきれいな水です。この水道水はどこから供給されているのでしょう。また、これだけの世帯が密集している地域で水洗で流された汚物がどこに行くのかも大いに疑問です。詰まったりしたこともないのですが、まさか河に直接流れることも有り得ないと思います。しかし下水処理場らしきものは有りません・・・。工事現場で働くイアン(ライアンの兄)に聞いても分かりませんでした。

実は今回、NPO法人を作るに当り、アジアの中で社会的なインフラがあまりにも貧弱でうかつに日本人のツアーを組むことが難しい国がありました。それがフィリピンのマニラとカンボジアのプノンペン、ベトナムのホーチミン(サイゴン)です。現地の旅行会社に頼むこともできますが、それでは料金が現地の物価とはかけ離れてしまい、現地市民の生活を学ぶという目的からは逸れてしまいます。例えば、上海などは空港から市街までリニアモーターカーが走っています。同様に他の都市でも到着した空港からバスや列車を使うことができます。その点、上記の都市はタクシーに頼る他にないのですがここから既に不愉快な思いをする確率が決して低くない訳です。この問題を解決しなければなりません。

それと共に、最近、よく見かける「子供110番」という日本のシステムを海外の旅行者に対して出来ないだろうかと考えた次第です。社会的なインフラが貧弱であるということは旅行者が頼れて安心できる空間がないことを意味します。最悪の場合、現地の日本大使館に駆け込むことになるのですが、大使館でこうした旅行者に対して現実的な対応はまず期待できません。そのため緊急時に気楽に連絡できる場所を確保しておきたかったのです。その他には、基本的に私たちの企画するツアーは参加者の自由行動を大切なその目的としています。参加者が現地で自由に動けるためには、一時的にでも荷物をどこかに預けられるようにしておく必要がありました。結果的にスコッターとなってしまいましたが、それは単にこの法人の資金が不足しているのが一番の理由です。また、確かにマニラだけは他の都市と比べても異常と思えるほどに治安が悪いのですが、そういった犯罪者が網を張っている地域はかなり限定されます。お金持ちが多い地域だから安全というのはマニラでは通用しません。生まれも育ちもマニラの人というのはそれなりに私にとっても手強い方が多く、どうしても警戒してしまいます。今回マニラから多少離れたスコッターに決めたのもそういった地域から外れていたからです。また、ニノイ・アキノ空港近くに広がるスコッターはここと比べても大変見すぼらしく見えますが、1Kという間取りでも4,000ペソ(8,000円)だったりとかなり高額です。
私がいない間は、この事務所はライアン親子に住んでもらっています。一般的なフィリピン人、特に地方に暮らしている者たちは驚くほど誠実な方が多いのも事実です。しかし、海外において貴方がそういった信頼できる人というのは、結局、あなた自身の目で確かめる以外にはないでしょう。

マニラの人口の約四割にも及ぶ市民が住んでいるスコッターですが、マニラの全住民の中で親戚がスコッターに住んでいる者を含めたら、恐らく市民の8割にも達するでしょう。こうしたスコッターも含めてマニラの通勤圏は形成されています。ですからスコッターのほとんどの家族の一人はマニラの工場や事務所に通勤しています。まず、マニラのスコッターはそのほとんどが賃貸家屋です。一世帯当たりの値段は2000円(1000ペソ)から高いものだと6000円(3000ペソ)を超えます。また、平屋の売値だと一軒当たり10万円から50万円程度で、やはり三階建てともなるとそれ相応にするでしょう。スコッターは違法な土地の占拠というイメージがありますが、仮に違法性があるとしたら約一割にも満たないそこで賃貸業を営んでいる家主たちです。住居の中にはアメリカ人が所有している家屋もあります。土地を含まないので外国人でも売買できるのでしょう。とにかく、こういった家主たちも安い住居を提供してくれているために、スコッターの住民からは感謝すらされています。

その他にもよく聞くのが電気を勝手に盗んで使うといった行為でしょうが、それは決して一般的ではなくほとんどの家屋にきちんとメーターが備え付けられています。大体、これほどの住民を抱えている地域が電気を盗むだけでなんとかやっていける訳がありません。同様に水道もきちんと毎月支払っています。ただし大家によっては住民に対して水増しした料金を請求することが頻繁にあるようです。停電や断水についても他のアジアの地域に比べたら、むしろ優秀だと言えます。実際のところ、私自身は過去に二ヶ月の間で一時間くらいの停電を経験しています。ほとんどの家庭でカラーテレビを見ることができます。

よく日本国内で「この地区の子供たちに教育を」と募金等の案内を見かけますが、ほとんどの子供たちは小学校に行っています。こうしたスコッターには必ず教会と小学校はあります。ただ、よく授業が午前か午後だけとか、やたらと学校の休みが長いという話は耳にします。確かにスコッターで親のいない子供をよく目にします。また、スコッターに限りませんがフィリピンでは子供が生まれても役所に届けない人がかなりの数にのぼります。単に書類を作るのにお金がかかるからという理由のようです。こういった子供たちは出生証明書がないことになりますが、問題なく学校には行くことができるようです。スコッターの3割ぐらいはそういった子供たちです。しかし、マニラの歓楽街によくいる一般のストリート・チルドレンはスコッターではまず見かけません。少なくとも、私は知りません。こうした団体はスコッターとストリート・チルドレンとを混同しているように思います。ストリート・チルドレンはフィリピン社会の中でもある意味特別な存在で、タガログ語でもビザヤ語でも話すことが難しく、ただ彼らがマニラ以外から来ていることだけは確かなようです。そうした事情でフィリピン政府もなかなか保護することが難しいのでしょう。マニラのスコッターでは例え親がいなくても、こうした子供を放っておくようなことはまずありません。その他によく混同されるのが路上生活者たちです。マニラ湾一帯で見る事ができますが、実際にはスコッターにはおりません。彼らの特徴は家族そろって路上にいることで日本とは大分事情が違います。貧しいことには変わりはありませんが、安易にマニラで働こうと考えて一家そろって地方から出て来たが実際には就職できなかった家族です。確かにこういった家族の子供たちは学校には行けないでしょうが、まず彼らがどこかに定着して生活する必要があります。
ジミーはバージーおばさんの妹の旦那にあたります。しかしその妹は二年程前に病気で亡くなり、そのままジミーはバージー家に住みついています。彼のタクシーはバージー家の所有でそれを一日650ペソで借りています。彼のタクシーはスコッターからオルティガスシティ間の決められたルートを走りますが、フィリピンではFXタクシーはジプニーよりは高級な乗り物と見られています。料金は片道30ペソ(60円)を上限に乗った距離により異なります。普通車のバンてすが乗客は最高9人まで詰め込みますので 9(人)×30(ペソ)×2(往復)で540ペソ。これを一日大体3・4回往復しますから車代を省いても日に1000ペソ以上を稼ぐことになります。これはフィリピンでは大変な収入になりますのでジミーは現在でもなにかと女性関係が絶えないようです。しかしながらこの20年以上前に製造された車が故障した際には、彼自身が責任を持って修理しなければならないのだそうで決して楽な仕事ではないですね。
今回、ライアンが失業中ということもあり本当にいろいろと手伝ってもらいました。私自身は彼が仕事もなく暇だろうと思っていたのですが、実際には子守りとお母さんの手伝いで忙しかったかも知れません。
ライアンは5人兄妹の次男で、現在兄のイアンと彼の母親も一緒にバージー家の一画に住んでいます。ライアン自身は大変学業は優秀だったそうで高校はセブで奨学生として学費を免除されていたのですが、結局大学は資金がなく断念し、つい最近までレイテ島で漁師をしていたそうです。また、彼にはムロタ(三歳)とベンジュアリー(一歳)の二人の子供がいますが、去年、一緒に同居していた嫁さんには逃げられたようです。バージー家の一階部分の左半分を使い、一つの出入り口から内部を一階と二階に仕切り、一階部分に母親とライアンと彼の二人の子供の四人が住み、二階部分にジミーとマーク兄弟、長男のイアンの四人が住んでいます。二階部分はただ寝るだけであまりにも狭いということで大晦日にはイアンを除いた家族7人が一階の食卓に集まっておりました。この時、長男のイアンは恋人の家にいたそうです。この中で働いているのはイアン、マークのお兄さん、ジミーの三人です。ライアンの母親は同居する子供と男性たちの食事、洗濯を任されており、いつでも何かしら働いていました。月に一回働いている者たち三人が彼女にそれぞれ500ペソを賃金として支払っているそうです。当然、料理等に支払われる実費は別でしょう。彼らは全てバージー家の親戚にあたり、ここの家賃は払っておりません。このスコッターには、現在、離婚してダバオに住むライアンの父親が再婚してできた子供たちも住んでいて、そういう親戚をたどって全員を合計するとこのスコッターだけでも大変な数になるでしょう。良くフィリピン人は都合が悪くなると親戚が死んで葬式に行くというジョークがありますが、結構あり得る話なのかも知れません。

バージー家は旦那が海外航路の船乗りでめったに帰らないそうですが、スコッターの中でも大変な資産家に入ります。家屋をここの他に三軒とサリサリストアーを経営し、FXタクシーを三台所有しています。大学を出たお嬢さんが三人ほどいて一緒に住んでいるそうですが一度も見かけませんでした。何故だか最近、バージー家には借金があるそうで原因が分からずライアンたちは首を傾げています。スコッターの近くに高校はありませんのでバージー家のように大学まで行く子供は、実際、毎日マニラまで通っているのでしょう。FXタクシーの中でもそういう学生を何人か見ました。

私の事務所はバージー家のちょうど裏手にあります。私もさすがに知人がいないと不安だったためです。私が現在、ここをライアン親子に住んでもらっているのも、もし空き家であれば必ず空き巣が入ります。過去にも現在の私の借りた家屋に空き巣がたびたび入っていたそうです。そのため、現在は戸口と荷物を預かる予定の部屋の鍵を二重にしています。

今回、私がここに住んでいたのは12月下旬から1月初めまででしたので、フィリピンのクリスマスとお正月を体験できました。クリスマス前には学生たちがにわか仕込みの合唱団を結成して戸口で下手な歌を披露していたので、慌てて小銭を用意しようとしたのですがこの時期大きなスーパーへ行ってもどこにもコインがないという現象に遭遇しました。そのため、正月前にはかなり計画的にコインをつくって用意しておりました。ところが大晦日にはそういった合唱団は全く姿を見せず午後10時くらいからは途切れることなく爆竹が鳴り響きます。スコッターの子供たちが難聴になってしまうのではないかと心配になる程の音量です。丁度午前零時をまわったところでライアンたちに新年のあいさつに行こうとしたのですが、大通りは車の通行が止まり、辺り一面に爆竹の煙に覆われていて、結局午前一時過ぎまで爆竹と花火が鳴り響いていました。

よくフィリピンでは地図は分からないが通りの名前なら分かるというのを耳にしますが、私の事務所がある通りは行き止まりに小川があり、そこまでには約30世帯前後があったでしょう。ゴミは毎日それぞれの世帯の戸口に出しておきます。この通りのゴミを集めて大通りに運ぶのを仕事としている者がいます。最初はよく分からず彼の事を回りの者に聞いたのですが、ガベージ・マン(ごみ男)と呼んでいました。恐らくタガログ語で他の呼び名があると思います。なんだか大変侮蔑的な呼称ですがそれがバヤンです。彼は私の事務所を含むこの通りを担当していて、月20ペソ程度各家から受け取っています。どうも身寄りがないらしく、いつも通りの入り口に座って1日を過ごしています。ところでスコッターの人々は決して作った料理を余らせたりはしません。作りすぎてしまった時には必ず近所の人に配ります。そうした事情でクリスマスの翌日などは私にも余った料理を持って来ますので、私自身その時はほとんど自炊しなくても料理が途切れることはありませんでした。バヤンはいつもそうした料理をもらって日々暮らしています。スコッターは大家さんが共に暮らしていることからも分かるように、日本の昔の長屋のようなもので、みんなが助け合って生きている地域共同体なのです。

こうしてマニラに事務所を構えることはできたのですが、肝心の通信設備が出来ていません。フィリピンの通信会社には、主に国営のPLDT社、民間のスマート社、グローブ社の三社が有名ですが、いずれもワイヤレス接続ができ、値段はインターネット接続し放題で月に1,000ペソ(2,000円)です。その中でも特に海外に強いと思われるスマート社に契約までして設置の日を待っていたのですが、その当日、唐突にこの一帯が電波が弱いために契約を破棄すると言われ、それが私の帰国前日だったものですから現在もインターネットに接続できないままです。途上国ではこの様な事態が頻繁に起こります。ツアーに際してジミーの他に合計二台のFXタクシーを確保できましたが、通信環境は今後の課題となっています。


他の国々でも同様ですが、このような地域社会の実像はテレビなどでは決して伝わりません。その多くは伝えるテーマに沿ってデイレクターが意図的に切り取っている画像にすぎません。日本のテレビなどを見て、彼らが汚いから、或は貧しいから「かわいそう」と言う前に、ご自分で歩かれることをお勧めいたします。くれぐれも貴重品等を持たずに・・・。


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